じんかれんのひろば

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◆最近の投稿から◆

「カーラ~スー」?「君ガワ ヨうわー」

あアー、遂に息子は頭が狂ってしまったのかも・・・!ベランダでパンツ一丁で調子はずれの大声で歌いだす息子を見て、親はがく然とした。

息子は、「不眠」の大波に襲われると、抗精神薬のリスパダール限度量一杯の12mgと、睡眠導入剤2種類、更にトンプク(眠薬)まで飲んでも、ほとんど眠れなくなる。本人はフラフラになり、次第に不安と緊張が高まり、いつ発狂の瞬間がやってきてもおかしくない状況に至る。こうなるとスグ入院しかない。

息子は11年間で10回の入退院(一回平均6ヶ月)を繰り返してきた。入院の度に増薬と、生活能力の低下が確実に進み、本人の絶望感のみが強まっていくことが明白だ。そこで両親は、「11回目は、もう絶対入院させまい。余程の暴発行為でも無い限り、自宅で直してヤル!」と硬い決心をした。

11回目の不眠の大波が襲って来た。こんどは、夫婦交代の24時間フルアテンドをして、本人が「不安」に襲われないよう、片時もそばを離れず、夜通し付きっ切りで話し相手を務めた。本人が喋りたくないときは、黙って横に座り、夜が白々と明ける日が何日も続いた。

2ヶ月ほど経ったある日、なんの前触れもなく、突然、真っ昼間から大鼾をかき始めた!そのまま一気に18時間ほど昏睡を続けたあとで、ビックリしたような顔で目覚めた。はじめキョトンとしていたが、スグに自分が熟睡できたことに気付いて、満面の笑顔で、「やったア!」と一言嬉しそうに叫び、タバコを一服うまそうに吸った。

遂に11回目の入院をせずに不眠のトンネルを抜けたのだ!二ヶ月ぶりに正気に戻った息子は、ベランダのハンモックに横になり、嬉しそうに空を見上げ、いつまでもハンモックを揺らし続けた。

その後、転地治療を目指し、家族3人で西伊豆へ移住し、ミカン園を始め18年を過ごした。また最近では、両親の高齢化に伴い、千葉の九十九里浜の医療・リハビリ総合施設に移り住んでいるが、薬も当時から1/4まで減り、無入院記録も18年を超えて、多くの笑顔が戻り、至極平和な暮らしを取り戻すことができるようになった。

(呉(ごう)愼次郎・衣久子
心のリハビリ 楽楽農園主・精神保健福祉士)
shinjirogo@hotmail.com / URL: 楽楽農園 検索

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「笑顔のおすそ分け」

今年最後の定例会。
楽しく笑顔で終わりたいなと、最後にみんなに聞いてみた。
「今年、一番嬉しかったことは何?」

「何もないよ」「あるわけない」
こんな声の中から、「そう言えば…」

「子供に留守番を任せて、夫婦で田舎に帰りました。数日一人で乗り切れました」
「よく見る野良猫が姿を消して、死んじゃったと思っていたら、ひょっこり現れた」
「当事者の調子が悪くて、ずっと家族会に出られなかったけれど、
 気持ちよく送り出してくれるようになった」

そして、バスを乗り継いで息子さんの病院に付き添っているAさん。
「最近息子の受診に付き合うのが楽しいの。
 帰りに近くの公園によって食事をし、散策するんだけれど。
 以前はきれいな花を見ると、自分は苦しいのに、生き生きしている花が憎らしいって。
 それが春くらいから綺麗なバラだねって言うのよ。
 二人で散策するのが楽しくてね」

思わずみんなの顔がほころぶ。

他の人にもそれぞれ嬉しいことがちゃんとあった。
 
最後は私の番。
「37年続いていた小説が秋に完結しました。
 新刊が出るたびに一緒に読んでいた実家の母が生きているうちに完結したと大喜びです」
爆笑。明るい年忘れになった。

来年もきっと嬉しいことがいっぱいあるね。

(Julyon)

じんかれんのひろば

 


「生きてたナア・・・」

僕は大学1年生の1年間をイギリスで過ごした。そう書くと聞こえはいいけど、実は英語もダメ、勉強もダメの、まったくの劣等生だった。

それでも、あの1年間は、大人としての今の僕を形づくるうえで、大切な1年だった。

イギリスでは、学生のほとんどは自宅から通わず、寄宿舎に入って生活する。早く一人前の生活がしたくて、首都ロンドンから、わざわざ僕の在学していた地方大学に進学してきた人もいた。

寄宿舎に寝泊まりできるのは1年生のうちだけ。上級生になると、仲間を見つけて不動産屋に出向き、自分たちでシェアする戸建てを見つけなくてはならない。そのための下準備として、1年生だけには特別に寄宿舎が用意されているのだ。

寄宿舎といっても堅苦しいものではない。建物全体が、8~10人ごとの「フラット」と呼ばれるブロックに分けられ、このフラットの住人が共同生活をする。台所やテレビのあるコモン・ルームは共有だが、各自にシャワー・トイレ付きの個室がある。

僕が住んでいた「フラット1」は、イギリス全国から集まった新1年生の集まりだったが、お互いにほんわかしたゆるい“つながり”があり、とても居心地が良かった。

朝は眠い目をこすりながら8時15分に起床。他の住人はみな寝坊をしていて、1限目に出るために朝食の準備をするのは決まって僕だけだ。「君はさすがジャパニーズだなあ」と言われたこともある。

テレビを見ながら食パン4枚とオレンジジュースを胃に流し込み、レクチャーへ。バスもあったが、僕は20分ほど歩いて行くのが常だった。

レクチャーでは、教授の言葉を聞き漏らすまいと全身を耳にし、歯を食いしばりながら授業に集中しようとするのだが、右の耳から入って来た英語が左の耳から抜けて行ってしまう。教授がOHPに映し出した講義録をノートに写すだけで精いっぱいだ。

授業が終わるともうクタクタ。それでも夕食の材料を調達しなくてはならない。身体も頭もふらふらになりながら、安いドイツ系の缶詰・冷凍食品スーパーへ。ここでカレー缶と冷凍ハンバーグを仕入れる。次、別の格安スーパーで野菜とソーセージと米を買う。

寄宿舎に帰ると、バタンキュー。豪華な昼寝。本来なら授業の復習をしなくてはならない筈なのに、そんな余裕はどこへやら。

夕方5時。まるでカウントのかかったプロレスラーのごとく跳ね起き、台所のあるコモン・ルームへ。夕食には、マグカップ1杯の米を鍋で炊き、おかずは日によってハンバーグ→野菜炒め→カレー缶のローテーション。米が炊けるまで、人参を1本かじる。ビタミンCはバッチリだ。フラットの他の住人たちは、近くのテイクアウトピザなどを買って胡麻化していたが、僕はそういうことはしたくなかった。他人とつるむことなくやりたいように出来るのがイギリスのいいところですね・・・。

夕食が済むと、適当にテレビを見、あとは深夜までイヤホンでBBCラジオに聴き入り、放送終了の12時半を過ぎると、やっと本格的にベッドに入るのでした。

(ももすけ)

じんかれんのひろば


「幸せです」

義母は新しいことを覚えられない。
10年以上前にアルツハイマー型認知症の診断を受け、
私は毎月介護に田舎に帰っている。

先月、7年間入所していたグループホームから老健に移った。
デイサービスからお世話になっていた施設では、一番の古株だった。
入所当初は他の入所者とのトラブルや介護拒否があり、心配していた。

退所日にケアマネさんと話した。
「お母様を見ていると忘れることも悪いことじゃないと思います」

最近は一人の世界に入り、マイペース。
テレビ番組に笑い、機嫌よく鼻歌を歌う。
口を開くと「幸せ、幸せ」を繰り返す。
スタッフから何かしてもらうと「ありがとう」と必ず言う。
私が会いに行くとにっこり笑って迎えてくれる。
二人でコーヒーを飲んでいると「美味しい」と言って涙ぐむ。
車の助手席で「ゆらゆら揺れて、気持ええなあ」とご機嫌である。

好き嫌いがはっきりしていて、嫌な人には遠慮がなかったのに、
いつからこんなに良い人になったんだろう。
嫌なことは全部忘れてしまったのかな。

「お父さんは優しかったし、子供は二人とも出来がいいし」
「え!あんな息子でいいの?」と思わず突込みを入れたくなる。
「罰が当たるくらい幸せ」なんだそうだ。

「私は幸せです」という妄想。
こんな妄想なら大歓迎だ。

聞いているこちらまで幸せな気分になってしまう。
こういうおばあちゃんになりたいなあと思う。

認知症になっても人を幸せにできるのだ。
人間ってすごいとつくづく思う。
「私も幸せです、お母さん」

(Julyon)

じんかれんのひろば Julyon様


「幸せになっていいんだよ」

帰省の帰り道、四国の在来線で親子連れと同じボックス席に座った。
お母さん、知的と身体の障害がある26歳の息子さん、そして年子の娘さん。
お休みで戻っていた娘さんを大阪に送って行くついでの親子旅行だそうだ。
「迷惑かけます」というお母さんに「うちの息子も障害者です。精神の」と答えた。
それをきっかけに、いろいろ話を聞くことができた。
息子が発病してから12年。
でも出産時の事故で障害を持った彼をお母さんはもう26年も介護している。
さらに一家を支えていたお父さんは昨年くも膜下出血で亡くなったと。

お父さんのいない、初めての家族旅行でみんなそれぞれ緊張した様子だった。
無事に大阪に着いて、USJに行けたかな。

兄の世話を焼き、お母さんがお喋りをするのを心配していた娘さん。
最後は作業所で空き缶つぶしをするお兄さんの動画を見せてくれた。
「あなたは、自分の人生を楽しんで幸せになっていいんだよ」
そう言ってあげたかったなあ。
人一倍気を使っていたのがちょっと心配。

それにしてもJR在来線は車椅子対応の座席が無いし、車椅子をおく場所もない。
車内販売の人が車椅子をどけてくれと言うし。
日本の福祉の貧困を目の当たりにした。

(Julyon)


ララのこと

私は、朝起きると真っ先に「ララはどうしてるかな?」と頭に浮かびます。夜、1日のすることを終えて、お風呂に入り、パジャマに着替えて、布団に入る前にも「ララはもう寝た?」と、テレビの前の夫に聞きます。夫は、テレビの方を見たまま「もう寝たみたいだよ。」と言う日もあれば、「まだ寝ないんだよ。」と言う日もあります。そう言う夫の足下には、ララが寝そべって、首を上げてハフハフ鳴いていたり、すっかり四つ脚を投げ出して寝入っていたりします。

そう、ララは我が家の飼い犬、16歳の雌のボーダーコリーです。後ろ脚は萎えてしまって立ち上がれません。目はよく見えず、耳も遠く、最近は嗅覚も衰えてきたようです。ですから、人が抱き起こしてやらなければお水さえも飲むことが出来ません。食欲だけはちっとも衰えずに今まで通りポリポリ、カリカリ、ドッグフードを食べ、デザートのキュウリだって夢中で食べますが。困ったことに、夏前ごろから夜鳴きをするようになりました。夜中に1度か2度、目を覚まして「ホイ!ホイ!」と、30分から1時間ぐらい、割と大きな声で鳴くのです。仕方なく私は起き出して庭に連れ出してみたり、お水を飲ませたり、なでなでしたり・・・。私は睡眠不足と腰痛になりながらも、24時間フルアテンドの介護を続けていました。「もう、そう永くはないのだから・・・」と、私も家族も思っていましたから。

ところが、最近、思いがけなく大きな変化が起きました。ある“老犬介護士”からのすすめで、“車椅子”と“オムツ”を導入したところ、めきめき元気になり、再び犬ライフ(?)を取り戻してきたのです。

車椅子は、オーダ-メイドです。ララの体型と体力に合わせて作ってくれるのです。U字型のフレームに4本の脚が出ていて、それぞれに車が着いています。前輪は小さく、後輪は大きく。そのフレームに渡してある3本のベルトの上に、ララの胴体を載せると・・・。はじめは、何も起きませんでした。「なんなのこれ?」と言いたげな顔で、じっと乗っかっているだけで。ところが、引いたり押したりして動かしてやること4、5日目のこと、家族が集まっている方へ向かって数歩、歩いてきたのです。その少し前、息子が手取り足取り(?)特訓していたようです。みんな大喜びで歓声を上げました。その声を聞いて、ララは嬉しくて、また数歩。とうとう、「自分は歩く動物である」ことを思い出したのでしょう。今では、車椅子に乗せてもらうのを楽しみにして、庭の芝生の上を“散歩”したり、台所でご飯の支度をしている私の様子を見に来たり、一人でお水を飲んだり・・・。かなり、自由と解放を味わっている様子です。

それからもう一つ。オムツは、私を、24時間フルアテンドの介護からずいぶん解放してくれました。騒ぐ度に庭に連れ出したり、間に合わなくて粗相をしてしまったのを、ぶつぶつ言いながら片付けなくて済むようになりました。先日は、安心して家族会に行くことも出来ました。オムツ換えは息子が上手なのです。そして昼間、車椅子のおかげで運動が出来るからでしょう、夜鳴きがずっと少なくなりました。

今でも、朝起きると「ララどうしてるかな?」に始まり、夜寝る前に「寝付かないで騒いでいないかな?」で、締めくくることに変わりは無いのですが、「ララを介護する」のではなく「ララと暮らす」幸せを感じている今日この頃です。

(ローズマリー)


日記より

2018.10.03(水)曇

最近、すっかり引きこもりになってしまいました。原因はだいたい分かっています。8月末に1週間、両親だけで旅行に行ってもらい、自宅で一人生活にチャレンジしたことがきっかけでした。

両親はいずれいなくなる。そうでなくても、今のように手取り足取り僕の“面倒”を見ることはできなくなってしまうだろう。僕はいつか、独りで暮らさなくてはならなくなる、と思うと、今からちょっとずつその準備や訓練をしておいた方が良いのではないかと、第一歩を踏み出すつもりでの一人生活でした。

僕はもともと外出が苦手なので、事前に母にスーパーで1週間分の食料をバッチリ買い込んでおいてもらい、冷蔵庫・冷凍庫をパンパンにしてもらいました。そして、庫内リストまで詳細につくってもらい、万全の準備を整えた……筈でした。

ところが、いざ一人になってみると、周り近所から「一人生活をしている」ということをそれとなく窺われているようで、初めはまるで“一人前ごっこ”をしているのを見透かされているように感じてこそばゆい程度だったのですが、それがだんだんと被害妄想に変わり、裏の若い奥さんが腹立たしいほどに元気よく携帯で電話している声、向かいの家の旦那さんが玄関から出て来て、「ゴホゴホ」と大きな声で咳をし、車のドアを「バシン」と閉めて出かけていく音などが聞こえると、それらがまるで僕の中に土足で侵入し、僕の静かな一人生活を脅かすものであるように感じられてきて、たとえ門の外1歩でも、出るのがますます怖くなってきてしまったのです。

両親が旅行から無事帰って来ても、僕の近所に対する被害妄想は続きました。9月はほとんど自宅から1歩も出られませんでした。

それでも、家の中でやることはたくさんありました。

朝、4時半に起床してまずパソコンに向かい、「じんかれんホームページ」に異常がないかどうかチェック。サーバーにアップデートの表示が出ていれば、すぐに更新ボタンを押します。

更新が無事済むと、今度は物理の“再”勉強に取り掛かります。なぜ「再勉強」なのかと言いますと、僕は大学で物理工学を専攻したのですが、病気のため数年間にわたる休学を2度も繰り返したうえ、復学しても頭がぼんやりとして働かず、自分がいま何の勉強をしているのかについての意識も朦朧としたまま、何とか35歳で卒業に漕ぎ着けたものの、大学生活は不完全燃焼に終わってしまいました。そこで、卒業から10年以上経った今、教科書を再度引っ張り出し、記憶の糸をたどりながら、物理に再挑戦しているのです。

1週間ほど前から、僕の引きこもり生活にもやっと改善が見られるようになりました。朝食の後、自宅から歩いて20分ほどのところにある町立図書館の学習室に、父と1日1時間だけ、と決めてぼちぼち通うようになったのです。すっかり体力の衰えてしまった父も、初めは渋々付き合ってくれただけでしたが、最近は「毎日これだけ歩けばいい運動になるなあ」とまんざらではないようです。

食欲の秋、読書の秋、勉学の秋、(そしてちっちゃい文字で、スポーツの秋)、皆さんも気候の変化に留意なさり、ぜひ充実した楽しい生活をお送りください。

(S.K.)


読書レビュー

『障害者のリアル×東大生のリアル』

思わず引きたくなるようなタイトルである。事実、ページをめくると、2015年度に東京大学で行われた「障害者のリアルに迫る」という一連のゼミに参加した現役東大生の有志らが、講師である障害者たちから学んだことを述べた、感想文集である。

「なあんだ。どうせエリート学生たちが、自分たちは安全な最高学府の座に着いたまま、本心では障害者たちを見下しながら、取り繕ったようなことを言っているだけでしょ」という先入観を持って本書を読み始めた読者は、冒頭から見事に裏切られる。

このゼミに参加した学生たちは、みな驚くほど謙虚だ。そして、岡部宏生さんという、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、僅かに動く唇と目のまばたきによってしかコミュニケーションを取ることのできない男性が登場したときも、ある学生は「私は彼に負けている。人から見て私は多くのものを持っているし、羨ましがられる人間だ。けれど、幸せだなんて思ったことはない。・・・どちらが幸せを感じられているか。間違いなく岡部さんだ。」と言い切っている。別の学生は、「私がもしALSになったらどうするだろうか。いや、どうすればいいのか。」と講師と自分の人生を重ね合わせる。そして、「自分の子どもが、もし障害を持っていたらどうしよう?」と真剣に悩む。

しかし、これらの学生たちは、しょせん“優秀な学生”の域を出ることはなく、「健常者である自分」と、「障害者である講師」という境界線を引きながら、自分と講師を位置づけているだけであるとも言える。そして、いろいろな推測や憶測を繰り返した挙句に、「何もわからない。わからないなりに「答えのない問い」に対して全力で向き合うことが、私たちにできる最大限のあがきなのかもしれない」という暫定的な結論に達する。

本当に、障害者たちはこれらの学生らの言う「答え」を持っていないのだろうか?

この問いに対する答えはしかし、本書の後半で見事に明らかにされる。後半では、自分の人生に常にコンプレックスを抱いていたという学生のみならず、「中学のころからいつも人生の分かれ道の選択肢に「生きる」と「死ぬ」が入っていた」という、不安障害と双極性障害を持つ学生、さらには、大学生活を送るうちに、「人間の生活には「昼」と「夜」がある」と考えるようになり、「「昼」には大学に通い・・・だが家に帰って家族と夕食を食べ、そして自室に戻り布団にこもると同時に「夜」が・・・足音を忍ばせて近づいてくる。・・・それは自らの「心の泥」が染み出してくるかのようだ」と自白する学生もいる。つまり本書は、「障害者と東大生」というテーマから、「障害者である東大生」というテーマに変貌する。

そんな東大生たちは、このゼミに参加し、上述の学生たちには見いだせなかった「人生に対する答え」に近いものを発見するに至る。すなわち、小山内美智子さんという脳性まひで車いすの当事者が講師として登壇した際、「彼女にはあって僕にはない何かがある。「自由」だ。・・・「自らの精神の自由」とでも言うべきだろうか」「僕の前にいた「障害者」たちは・・・こんなにも自由に生きている。・・・この人たちは、僕の何倍もの自由を生きている」「今まで自分は自分で自分の事を何も決めてこなかったのだ、と初めて気付いた」「もう一段上の、もっと頑強で丈夫な「僕らしさ」が必要みたいだ」との悟りに達するのである。

評者は、この本を精神障害者当事者にぜひともお勧めしたい。人生の先輩であるこのゼミの講師の障害者たちから、東大生らの言葉を通して、人生にとって何が最も大切かを、教えてもらうことができるはずだ。

(ぶどう社、2016年7月31日初版発行、本体1,500円+税)

(S.K.)