「じんかれんのひろば」ページに、ももすけ様からの投稿「訪問看護とともに2カ月を過ごして」を掲載しました

僕は精神障害者当事者だが、困ったことがある。1年ほど前、新しく変わった主治医の先生と診察室でやり合いになってしまって以降、診察に行かれなくなってしまったのだ。仕方なくその後は母に代理で受診してもらっているのだが、母にいくら詳細に「診察メモ」を手渡しても、限られた診察時間の中では先生に伝えられることはごくわずかで、先生とのコミュニケーションが極端に希薄になっていくのが感じられた。

それに加え、特に今年に入ってからは、僕の体調や感情の起伏が激しくなり、瞬間湯沸かし器のようにイラつきが爆発して家族に罵声を浴びせかけたり、以前と同様に1週間に2日ほど寝込んでしまったりし、どうしようもなく行き詰まりを感じていた。

そんな僕に困り果てた両親は、町の役場の福祉課の方に相談に行った。すると担当の方は、「訪問看護を受けられるといいですよ」と提案してくれた。この話を母を通じて主治医の先生に伝えると、先生はクリニックの看護師さんを訪看に派遣してくれると、喜んで答えてくれたそうである。

それを聞いた僕は、はじめあまり乗り気ではなかった。今までも過去にデイケアや作業所などに通ったことはあるが、いずれも周りの人たちとの違和感で疲れてしまい、辞めてしまった。僕にはもう、家族以外の人とスムーズに交わることなどできず、不快感を我慢するか、あるいは諍いになって退散するか、そのどちらかしかないと思っていた。

そんな中で、僕の訪問看護がともかく始まることになった。事前に分かっていたのは、若い女性看護師が2人交代で、毎週金曜日にクリニックから訪問して来るということだけだった。どんな人が来るのかはおよそ見当がつかない。上手く喋れるだろうか? 例によってケンカになるのではないだろうか? バカにされるのではないだろうか?

4月の初めにはじめて現われた女性看護師さんは、明るくてハキハキしており、僕とはおよそ逆の性格だったが、話し下手な僕の言葉ひとつひとつに丁寧に耳を傾けてくれ、趣味のコーヒーや物理の話、家族とのトラブル、主治医の先生とのいざこざ、過去に味わったトラウマ、いま困っていること、等々、まるで乾いたスポンジが水を吸い取るように、僕の話すことすべてを、文字通り吸い取ってくれているように僕には感じられた。

これは、今まで僕が病気になって以来経験してきた不快な人間関係とは何かが違う。こんなにも、この精神病患者の僕に親身になってくれる看護師さんがいるのか。

次の週に来てくれたもう1人の看護師さんも、また別の視点から僕の話に聞き入ってくれた。本当に、これがよく言う「目から鱗」という経験なのか。

その後も、看護師さんたちは毎週訪看に訪れてくれている。僕は自分の体調の悪い波が重なることが心配だが、この2カ月、1度しか休んだことはない。

いまは、リスパダールの量を調整するため、看護師さんたちに主治医の先生とのパイプ役になってもらい、先生と直接顔を合わせずに薬を変えるという新しい試みが進行中だ。

まだまだ訪看は始まったばかりだが、まずは幸先の良いスタートが切れたように思っている。

(ももすけ)

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